泥水りんごジュース

なんでちゃんと飲んでくれないの

ある蒸し暑い夏の夜

全てがいやになり、眠そうな彼氏の前で久々に泣き喚いて、過去を呪い、今を呪い未来を呪い、恨み辛み、「でもどうしようもなかった。私に”正解”の選択肢は掴み取れなかったけど、どうにか”最善”を選んだ」と鼻水をすすった。

最善を選んだから生きてここにいるんだ、くそ野郎。

 

彼氏はとろりとした目で頭を撫で私を抱きしめた。そのたびに私は「ヤメロ!社会不適合者に伸ばす手なんか一本もねえんだわ、産廃だ、産廃こと私だ、テメエは2年も産廃と付き合ってやがる、バーカ、ざまあみろ、ハハハ、今までありがとう、本当にすまねえ」と騒ぎ、彼の滑らかな手を全力で手を払い除け続けた。

 

彼氏に「燃えるゴミ出すついでに、ファミマで今やってる、ペットボトル一本買ったら2Lの水がもらえるやつ。しにいこう」と言われ、ゴネたのち渋々ついていく。ポケットにしのばせたレインボーヒヨコを夜道で光らせると彼氏はケタケタと笑った。私は顔を強張らせ不機嫌を演出したまま意地を張り続けていたが、暗い夜道が怖くなりとうとう彼氏の腕を掴んだ。

 

合計2500mlの水とともに帰宅し、録画の2355を見ながらまた嫌になってきた私は彼氏を箱ティッシュで数回小突く。少し叱られ、謝った。彼氏はベッドに入ると、オリジナル童話を読んでくれと言った。読むと彼氏は大笑いして「やっぱり  ちゃんはすごいよ」と言って寝た。

彼氏の寝息を聞きながら、私は少し笑った。

 

私は常に崖っぷちにいる。崖下は真っ暗な闇、背後には忌まわしき過去。目の前には生きづらい未来がひしめき、私を四方から圧迫する。だから飛び降りたくてたまらない。ほんのあとひと押しでいつでも落ちる私を後ろから強く強く抱きしめたのが彼氏だ。

こいつのせいで死ねないが、こいつのために生きるのだ。私よ。

 

 

(2020年夏頃のツイートより)

きゃあ、自分殺し

前回のブログ更新からもう一年半ほども経つらしい。

自堕落な生活を送っている。

ブログは何回か書いたけど、それも全て中途半端のまま下書きにしまわれている。絵もろくに描いていない。

 

私は何回か心を折った末、どうにか自分に寛容になることができた。

それなりでいいんじゃない、それくらいで十分オッケー。やるだけえらい。やらないよりまし。生きてるだけで。

『本来の意味での自己肯定』とよく言われているやつで、まあ数年前まで無気力で引きこもり自殺までしかけた人間が普通に生き延びた日が1日でも増えていくのは凄いんじゃないかな、と思う。

 

けれど、私が寛容なのは今の自分に対してだけだ。

過去に対する完璧主義は昔から頑固なのだけど、(“過去に対する完璧主義”という字面は破綻している気もする、)きっとこの二十数年積み重ねてきた自己嫌悪が加えてさらに強くこびりついたのだろう。

その場その場は「まあやれた方だな」と思いながら、夜眠る前、数日後に同じような場面に出くわす時、数年後にはたと思い出す時、私は過去の自分を滅多刺しにする。

あ〜〜死んでくれ。頼む!いやいやおかしいでしょ何でそんなこともできん?もうちょっと上手くやれや〜てか時間あったじゃん絶対。もっとできただろ、恥ずかしい、自分には能力がない。もう何もしないでおこう。生き恥だ。死んでくれ。何一つ残すな。全てが消えものであれ。名を残すなら功績だけにしろ。失敗は残すな、恥晒し、カス、死んじまえ

この中傷を『自省』という表現に置き換えればそれはものすごく下手で、私は自省に向いていないと言っていいのかもしれない。

「次からはこうしよう」とも思うのだけど、それは過去の自分を殺したいほど恥じているために生じる「過去のお前なんかと一緒にされてたまるか」という決意の表れであり自省とは少しずれている。

 

私は昔から作ることが好きで、漫画やイラストを描いてみたり文章を書いてみたりしている。

そのどれもこれもが“残る”ものであり、私は自分が作ってきたそのほとんどに嫌気がさす。

描いた漫画たちは全て燃やしたし、ブログはアカウント自体消去し、Twitterはフォロワーを全てブロックして鍵をかけた。

このブログだってこっそりと何度かの修正を重ねていて、読むたびに「よくこんなくっさい文章書くなあ、キモい、恥ずい、死んでくれ」と思う。そしてこの記事も例外ではない。というこの文章の言い回しも臭いし、本当に死んでくれと思う。と、書くことも、臭いし、はあ

未だに消していないものたちもいくつかあるが、それらに関してはいっさい目を通せない。

たとえば私はスポーツ観戦の感想を手書きで書くというアカウントを持っているのだけれど、過去に投稿したものを振り返ることは基本的にない。見るに耐えないからだ。過去との矛盾があってはいけないからと遡ることはあるけども、必要な時以外は絶対に見たくない。

さらに言えば、投稿した時点で“過去”になってしまうので、私は投稿後のチェックを済ませると数十時間はそのアカウントを開けなくなる。

その間に反応や感想も溜まっていくが、溜まりきってから返すようにしている。恥と対峙するのは極力避けたいので。

 

過去の自分が今より拙いのは当たり前だし、裏を返せばそれは今の自分が成長しているということにもなるのだけど、それを理解した上でもどうしても過去を責める。

そして現在の私はいつか自分が“過去”になった時を考え、未来の自分に死ぬほど責められ未来の自分が恥に苛まれることに足取りを重くして、一歩踏み出すことをぽつりぽつりとやめてしまうのだ。

そんな過去にも「何にもしてねえな」って責めるんだけど。

私は過去の日々を“黒歴史を作りながら生きてきた”と感じていて、今の私はその過去のケツを拭くために生きている。

そのケツを拭いている私も未来から見れば黒歴史製造中のただのゴミで、たったいまを生きている私は未来の自分に死んでくれねえかなと思われているのだろう。

 

私が完璧になる日はいつ来るのかしら。

上手くできたと思った作品を後から見返した時の、あの感覚が心の底から嫌いだ。

バランスは悪いし言い回しはくどい。面白くないし不恰好。

そう思えるのは審美眼やセンスが養われた証拠である、けども、そんなのは関係なく、本当に恥ずかしい。

あの時の自分は最大限やったのだなと思える余地がない。

なぜもっと上手くやれなかったのか? もっと上手くやれ、下手くそ。

そればかり考える。

その当時の私を認め、褒める声も多数ある。そのすべてがお世辞で茶番に見える。なんて失礼なやつなんだろう。

こんなの面白くもねーだろ! と本気で思うのだ。治せるものなら治したい。

きっと世界は思うより少し甘い。肩の力を抜いて大丈夫なのに。

完璧を求めて何になる? この世に完璧なんてないといつから気づいている? いつ完璧になることを諦められる?

7歳くらいの頃の失敗を思い出して本気で責めちゃうのももうやめたいよ。不毛だもん。

自分に甘いのかもしれない。過去の自分を傷つけてまで完璧主義であろうとする自分自身を躾けられず野放しにする私は。

数年後の自分が来る、数ヶ月後の自分が来る、数日後の自分がどうせ私を詰めに来るのだと思っていると、それは数時間後、数分後数秒後と時間を縮める。

一秒前の私は過去。

おい、下手な文章書いてないで死んでくれ

うわ〜〜うるせえ。黙ってくれ。

黙ってくれって、そうやってまた自分に甘いな

現時点で過去の自分をディスるのやめられてないお前も同類だから大人しくしててくれ

お前が完璧なら私が詰る必要もないんだが?

お前はどれくらい未来の私なんだ?今の私か?

黙れ、反論できないなら喋るな、カス、死んどけ、読み返してみろ、酷い文章だぞ。はやく記事消して寝ろ

助けてくれ

 

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きっとこの記事ももっと上手に書けた。

田中愛子を許さない

おやすみプンプン』という、今でも度々話題に上がる、サブカルチャーの王道みたいな漫画がある。

父親の部屋に入っては週刊少年誌を読んでいた小学生の私。ジャンプ、マガジンと共に積まれていたビッグコミックスピリッツ。年齢層が少し高めなスピリッツを手に取り、私は『このSを、見よ!』とか『セルフ』とか『花と奥たん』とか、ちょっとエッチな漫画を選り好んで読んでいた。やっぱりジャンプやマガジンなんかより大胆にエロくて、乳首とか描かれてて、ドキドキした。

絵が綺麗で可愛くて気持ち悪くない漫画しか興味のない私は他の作品を読み飛ばす。

早々とめくられるページの間からチラチラと見える奇妙な鳩サブレ少年、プンプンの印象は強烈だった。

途中から読んでもわからなかったから読むのは止めてしまったし、そもそも当時の私は作品を理解し得なかっただろうけど、プンプンという存在だけはよく目に入っていて。

 

そして同時に、眉毛の濃い、女も、よく見かけた。

 

歯の抜けた、貧相な裸、困り眉の、太っとい眉毛の、そばかすの、地味顔の、幸の薄そうな、お世辞にも可愛いとは言えない、いや、可愛い、モデル顔じゃないだけで、可愛い、クラスの中じゃ可愛い、そのサークルの中じゃ可愛い、中の上、上の下、田中愛子。

田中愛子。

私が田中愛子という名前を知ったのは17歳くらい。たぶん、まとめサイトかなんかで偶然知ったんだと思う。

そのときはなんとも思わなかったんだけど、

その17歳から、また数年間。

男に抱かれた。男と付き合った。男と別れた。男に抱かれた。男と付き合った。

 

私は田中愛子が嫌いだ。

 

プンプンは田中愛子に呪われた。

田中愛子はプンプンの初恋を奪い、唇を奪い、目の前に現れなくとも、思い出で、匂いで、言葉で感触で、プンプンの中に存在し続け、何年にも渡りプンプンを苛み、遅効性の毒のようにジクジクと体内でその存在を増していく。

おやすみプンプン』のなか、何ページにも渡って田中愛子はそこにいた。それほどに田中愛子はプンプンの中で何回も何回も回想される存在だということだ。

プンプンはおねえさんに襲われたから、または思春期の性欲のせいで、もしくは田中愛子を断ち切るために、さらには“なあなあ”で。とにかく、とにかくたくさんの建前を重ね、田中愛子とは違う女で童貞を卒業した。

そして、そのせいで田中愛子の存在はより一層輪郭を濃くし、プンプンの中で神格化される。

プンプンは馬鹿な男だ。

自意識と田中愛子の間で息苦しそうに、いつまでもプンプンは田中愛子のことを思い出したり、忘れようとしたり、思い出したり、忘れようとしたり、でも無理なので、思い出したりする。

 

田中愛子はよくわからない女だ。

恋心がなにかも分からぬ小学生のプンプンは、言葉を紡いで必死に胸の内を伝える。

「僕は、」

「みんなをメツボーから救えないかもしれないけれど、」

「でも何があっても」

「愛子ちゃんだけは守ってあげたいと思う。」

「愛子ちゃんが好きだから。」

すると田中愛子は笑い、

プンプンのファーストキスを奪う。

「…エッチ!」

そう言って、どこかへ走った。

 

また別の日も、田中愛子は言う。

「プンプンはあたしのことすき?」

「じゃあ、あたしもプンプンがすき!」

 

“エッチ?”

“じゃあ、あたしも?”

 

その謎こそが甘美。

謎を解き明かそうとすればするほど嵌って行く。

きっとそこまで深く考えず行動したであろう田中愛子を遥か追い越し、その行動原理を延々と考える。答えなんか見つかるわけないのに。

考え続けていくうち、それは固執になる。

田中愛子はプンプンの価値観とか、倫理観とか、恋愛観とか、性癖とかを形作った。

田中愛子と出会ってしまってから、プンプンはその前になんとなくで好いていたブスのクラスメイトの顔すら思い出せなくなってしまった。

つらいとき、「…愛子ちゃんは僕を痛くないように殺してくれるだろうか…?」と、自身の死すらも田中愛子ありきでプンプンは考えるようになってしまった。

田中愛子から決別するために人生をかけて奔走しながら、最後には田中愛子との思い出の場所に行く、けして田中愛子と決別なんかしてないプンプン。

田中愛子がイケイケの先輩と手を繋ぐ姿を目撃して、「地獄!」と思うプンプン。

いつまでも田中愛子とのチャンスや偶然や必然を狙っている滑稽なプンプン。

田中愛子を、運命の人と信じ続けるプンプン。

愛子ちゃんを探して、愛子ちゃんは見つからなくて、愛子ちゃんはいなくて、プンプンが探してる愛子ちゃんはもう今はいなくて、だって愛子ちゃんも歳を重ねて、あの頃の愛子ちゃんとは違くて、てかプンプンも歳を重ねて、もう今は好きじゃないはずなのに、好みとかも変わってるし、でも会ったら愛子ちゃんはやっぱり愛子ちゃんで、あの頃の愛子ちゃんの面影があって、むしろ魅力が上乗せされているような気が、僕達、また、もう一度、これから、そして、いつまでも、いつまでも、愛子ちゃん、愛子ちゃん、愛子ちゃん!

 

 

「田中愛子への執念に似た思い」

『おやすみプンプン』におけるプンプンと田中愛子と南条幸の関係[ネタバレ含] - 今日もご無事で。

 

 

初めておやすみプンプンを読んだ時、なんとなく、私もこんな恋をしたいと思った。

普遍的な幸せとは少し違った、ノスタルジーと喪失感に浸るような、擦れた、捻くれた恋。人生に行き詰ったら、互いを殺し互いに殺される。そんなハッピーエンドを描いていた。一種の中二病だったかもしれない。

でも、私に纏わりついていた青臭い熱もそろそろ冷めてくる頃だ。

 

プンプン。

それは執念なんだよ。

 

誰にも呪いは解けなかった。

いや、解かないまま、田中愛子はプンプンから去った。わざと。きっと。

狡い女。小汚い女。最悪の女。

彼の元を去る直前まで、田中愛子はプンプンに呪いをかけ続けた。自分の存在をプンプンの中に刷り込むかのように。

プンプンが一生、自分のことを忘れないように。

 

でも、そんなプンプンが好きなんだ。

そういう人が好きなんでしょ?

田中愛子のことを好きじゃないプンプンなんかプンプンじゃない。

心にたった一人の女の存在が棘のように刺さっている姿に、劣情し、唆られる。

そんなん嫌だけど、嫌なのに、そんなんが好きなんだ、私は。

私なんかには興味ないのかな、と疑う瞬間の胸の締め付けが、心地好い。

なんて、自己防衛、正当化。

ごめんね、気持ち悪いね。忘れて、今の言葉忘れて、田中愛子も忘れて。お願い。ね、プンプン

 

そのうち私は自分が田中愛子ではないことに気づく。

それでも私はプンプンと生きていく。

ヒロインには足らないかもしれないけど、少し出会うのが遅かったかもしれないけど、すべて手遅れかもしれないけど。

田中愛子より長い時間をプンプンと生きていくのだ。

プンプン、だからさ、もういいじゃん。

もういいじゃんって、私か。私がか。

 

眠るのは簡単だ。

途切れていく意識に身を任せ、怠くなった身体から解放される快感。幸せな夢を見て、一生覚めなければ良い。

それを叩き起こすのは難しい。

何回「起きてよ」と言っても、上体が起こされても、目線も意識もうわの空で、半分眠っているのだ。

おやすみしないで。

おやすみしちゃダメだよ。

おやすみさせない。

損な役だ。

 

起きて、プンプン。

起きてずっと起きて、夢の内容が、あの子の顔が声が匂いがぼやけはじめて、日常が溶かして、いつしか思い出せなくなりますように。

 

私は、田中愛子を許さない。

縫製

なんで付き合ったんだろうとは思わないけど、よく付き合えたなと思い返すことはある。

将来の夢を家族に否定され続けた結果、手堅く公務員か教師を目指すと腹を括った私とは対称的に、21歳にもなって「俺は声優になるんだ」と豪語する姿はとても自由で眩しく見えた。

が、悲しいかな。その眩しく見えた光は、フィラメントが焼き切れる寸前の豆電球だったのだ。

 

人生で初めての彼氏だった。大学四年で単位不足、卒業見込みナシ、教授が親に連絡する始末。声優になるからと就活はゼロ、「青森県は国内最低賃金だからやる気が出ねえ」とバイト歴もゼロ、しかし彼には声優養成所に通うための金も、青森から引っ越す金も、明日食うものを買う金もない。そして青森は国内最低賃金じゃない。

大学卒業が近づくほどに荒れ、電話口で「やべえのは俺が一番分かってんだよ」と泣き、それでもひたむきに怠け続け、明日の生活費を二次元美少女アイドル育成アプリに課金し爆死する。お前がいま揃えなきゃいけないのはのSSR塩見周子じゃない

f:id:AsteroidB216:20200217084853j:imageSSR塩見周子。かわいいね)

うわ言のように「ライバルは山寺宏一」「俺が女だったら沢城みゆきを潰せてた」と話しながら森久保祥太郎杉田智和の声真似をし、声優に必要なのは声真似力ではなくアイデンティティでは?と遠回しに問う私へ「俺、声がいいから」と返す。

チンチンがでかいからデニムが履けないとかいって、クソだっさいダボダボでシワシワの、何色? 絵の具バケツ? みたいなズボンをいつも履いていた。チンチンはでかかったのかな。覚えてない。周りがチンチンでかいって言ってくれるらしいけど、背が低いから相対的にチンチンでかく見えるだけじゃね? と思うし、彼もそう言っていた。(認めることは全てにおける第一歩だ。)

そんなデカチン膣内射精障害の男に、私は4万ほど金を貸した。貸した日の夜に元彼は牛丼を食べて、数日後にはラップバトルのDVDを買っていた。

 

別れを告げた日、「別れるのは受け入れるが関係は断ち切りたくない。バイトに受かってみせるから、そしたらもう一度チャンスをくれ」とまるで一世一代の決意かのように頼み込む彼への愛情(または、同情)は既にすっからかんだった。次の日、3社ほどバイトに応募したそうだ。グッド・ボーイ

彼は履歴書作成を非常に面倒臭がり、自身の不器用さを言い訳に誤字脱字を繰り返し、「一発描きじゃなく下書きすればいいじゃん」という私のアドバイスを「面倒臭い」と一蹴した。いちいち遠回りを選ぶやつだ。ドラゴンボールでも『男は意味の無い遠回りが好きなんだ』みたいな台詞があったけど、あれを言ってたのはたしか人造人間だったな。めちゃくちゃな皮肉じゃん。鳥山明は神。お前はカス。

数日後、彼は書き終えたことを褒めてくれと言わんばかりの文章とともに、十字折りになった履歴書の画像をツイートした。「普通は三つ折りだよ」とフォロワーから指摘された彼はそこから数ヶ月、履歴書を書かなかった。

結局のところ彼がバイトをし始めるのは私たちが完全に縁を切る日の直前になる。彼が書いた履歴書はガタガタの文字で埋められていて、真っ白な右半分にぽつりと書かれた六文字だけが記憶に残っている。

 

職歴

なし

以上

 

「別れにけじめをつけるから最後に会ってくれ」と言って関東に帰省した彼は体調不良の私を無理やり連れ回し、私にドトールで金を出させて飯を食い、彼が「歳上が奢るなんて誰が決めたの? 俺よりお前の方が金持ってるんだからお前が奢れよ」と言い放ち、私が「私がお金持ってるのはバイトと節制を両立してるから。」と返せば、その場の空気は最悪になった。なんでだよ。正論やんけ。

私がもう帰ると言ったら、「オメ〜の好みの男になるから服選んでくれっつってんのに!!!!!!!」とデカめの声量で怒鳴られた。

とても良い声だった。

でも私はその太い声から放たれる腐った言葉の数々が嫌だった。静かな水族館で弁えられない声量が嫌だった。ああほら、そうやって騒ぐからみんなこっち見てるし、やめてくれ、お前が巡る服屋を探したのも私だからお前なんにもしてないし、私好みの服はここ渋谷にはないし、目的を先に言ってくれよ。なんなんだよ。来なくてよかったじゃん。

工事中のハチ公前改札。最後の最後に引き留められ、謝りでもするのかと思ったらキスをしようとしてきたので「それで私の機嫌が治ると思ってんのがマジでありえない」と言った。私の大きな声が工事中の渋谷駅内によく響き、今すぐにでも消えたくなった。

それが彼との最後だった。

 

そうして、別れたあと、全ては私のせいにされていた。

 

LINEが途絶えたあと、彼のTwitterアカウントが消えたあと、周りに彼のことを話す時、これを書いている時、「なんだったんだ?」と思う。

なんだったんだ?

いつでも縁を切れる息子みたいな感じだった。

なんだったんだ、マジで

とある先輩

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人より記憶力が良いということ。

 

記憶力が良いゆえに、私の中には身の毛もよだつほどの嫌な思い出がミチミチに詰まっている。

それは幼稚園のおゆうぎでルールを間違えてしまい先生から怒られたことに始まり、小学校の時にしりとりで負けたくなくて「ロシックゴリータ」という造語を作りズル勝ちしたこと、友達を解消されたくなければ命令に従えと言われ砂を食べたこと、好きだった先生が学年集会で椅子を蹴飛ばし出ていったから物に当たるのは良くないと注意したら私の正義感と教師のプライドによる言い争いが始まり結局言い負かされて大泣きしたこと、中学でいじめられて性格が歪んだこと、うちの家族はヤバいと感づき始めたこと、上京したての頃に西武新宿駅新興宗教の勧誘に捕まったこと、バイトをするたびに変な客に絡まれ辞めるハメになること、抱かれた男が知り合いの彼氏だったこと、元カレにそれなりの金貸してたこと、あと色々、言いたくないので、エトセトラエトセトラ。

とかく嫌な記憶がひとつも成仏してくれなくて、それらをあぷあぷと抱えた私は、ぽろりとハミ出した一つが勝手に脳内上映されるたび万年床に挟まれながらアア、ウウ、と呻き声をあげるのだ。

 

そんな私の中に住む、とある先輩の話。

 

高一の春、新入生勧誘のための文化部発表会で、ホール最前列のど真ん中という良席に当たったことが私の人生を大きく変えた。演劇部の紹介が始まり緞帳が上がった時、舞台のど真ん中に倒れていた男性こそがその先輩だ。

エネルギッシュな演技と大量の唾を勢いよく浴びせられ圧倒された私はぬるりと演劇部に入った。

掴んだ情報によれば、先輩は三年生で、その年の四月で引退で、副部長で、ラーメンズが好きで小林賢太郎戯曲集を部室に置いていて、SNS上に本名は載せない主義、LINEも本名とは全く関係の無いアルファベット一文字で名前を登録していて、ツイッターでは「あなかしこあなかしこ本名で呼ぶな。」とbioに書いていた。

昔いじめられていて、たまに病み期に入って、人を悪く言う人達が苦手で、友達ができにくくて、学食を一人ぼっちで同じ席で食べていて、哲学について考えると止まらなくて、童貞で、文化部発表会の役作りしろって言われても恋愛がよくわからなくて、中学でいじめられてた時に庇ってくれた恩人の女の子を思い出して、もしかしたら好きなんじゃないかって思ってわざわざ会って舞台のストーリーと同じように告白したけど振られたらしくて、てかその女の子と同じ公立高校に入ろうとしたけど自分だけ落ちて、滑り止めがこの私立高校だったらしくて、アア、ウウ、

 

私は先輩を好きになった。付き合いたいとか恋愛的なのじゃなくて、とにかくなんだかとても魅力的だなと思っていて、毎日毎日、目が離せなかった。

先輩と私は限りなく似ていて、お互いに似てるなあと認めあった事だってあったし、だから先輩がその恩人の女の子を好きになるなら、私だって恩人の先輩をとうぜん大好きになるのだ。先輩みたいに、恋愛じゃないにしろ。

 

そう、先輩はこのあと私の恩人になる。

先輩と私が限りなく似ているとはいえ、最寄り駅も同じだと知った時は正直運命なんじゃないかと勘違いさえした。

先輩が部活に顔を出した日の帰りは、一緒の駅で電車を降りて、ホームの階段を上り始めたところから二人きりの短い会話を交わして、改札を抜けて先輩は治安の良い東口、私は治安の悪い西口と別々の出口から帰路に着くのだった。

五月、部活終わりの帰り道、ホームの階段を上り終えたところで先輩が切り出した「最近、つらそうやな」に対して、私は呼吸を待たず「死にたいんです」と返した。

身勝手に先輩を信じていた。同時に、このまま先輩と気まずくなって今後一切口を聞けなくなっても仕方ないとも思っていた。そんな覚悟を溶かすように、先輩は優しく相槌を打ってくれた。私の弱音で続く平行線のやりとりは改札を抜けてからも何十分と続き、立ち話で足が棒になりかけた先輩と私は、西口を出た先のバスロータリーにあるベンチを話場に選んだ。

そのベンチに私と先輩が座ったのは、二回。

その二回のベンチが私の青春だった。

 

「人間の記憶の内訳って、統計とったら平均的に良い思い出が6割、どうでもいい思い出が3割、嫌な思い出が1割になるらしいねん。これは中学演劇の『思い出の6:3:1』って脚本でぼくは知ってんけどな。」

「僕らが去年の新歓でやってん。高校生なんてアホやねんから新入生歓迎会の脚本は中学生レベルが一番ええって部長が言うて、実際ほんまにウケてんやんか。今年は引退やからって高校演劇ド真ん中な抽象劇やったけど」

「でな、今の  は嫌な思い出10のうちいくつある?」

「せやんなあ。でも嫌な思い出って減らされへんし忘れられへんやんか。よく気にすんな〜とか、忘れや〜とか言われるけど、そんなん絶対無理やん。やからこれからの人生でいっぱい楽しいことやって、どうでもええことやってさ。思い出の母数を増やして、嫌なことを1に追いやればええんよ。」

「ぼくとこうやってダラダラ話す時間もさ、積み重なれば嫌な思い出を追いやれる量になったりせえへんかな〜」

 

「てか、前から思っててんけどさあ」
「  さあ、笑うの苦手やろ。笑うとき絶対手で顔隠してるもん。」

 

そういえば当時の私は、中学の頃から毎日欠かさずマスクをつけていて。

「顔面凶器」とかいう最悪の言葉が流行る終わりの街・大阪の南部にて、一年近くひどい言葉の数々に耐えてきた私は「目ェ腐るから視界に入らんといてくれや」という言葉にぽきっと折れてしまい、その日から前髪を伸ばし、マスクをつけて、できる限り自分の顔が見えないようにした。

なんじゃそりゃ、これでええんやろ、これでアンタの目は守られんねやろ? と強気なフリをした私は、その方向に努力すればするほどそいつらの思惑通りのオモチャに近づくという悪循環を理解した上で、そうするほかなかった。

たった三年間でも、日常的に、周りから浴びせられた罵声や悪口は、真実だろうとそうじゃなくとも価値観に深く深く根付いて、いまでも私を苛んでいる。

中学を卒業しても、マスクは強力な呪いで私の顔に貼り付いていた。

誰でもいいから呪いを解いてくれよ、と、姿も名前も分からない存在に縋り願うしかない虚しい日々自体も、また呪いを強めていくのだった。

 

「ほんでいつもマスクしてたんや。汗だくやのに外さんから、暑そうやな〜と思っててん。そうか、そんなん言われたら怖くなるわな。ほんまそんな奴ら死んだらええのになあ。」

「僕な、自分のことを苦しめた奴らだけには死ねって言うてええことにしてるねん。オススメやでこれ。僕を頼ってくれる  が苦しんでると僕も苦しいし、  は優しいからこういうキツいこと思われへんやろうし、やから僕が代わりに死んだらええのになって思っとく。」

「マスク、ぼくの前なら外せたりせん? 外せへんなら無理せんでええから」

 

「顔、全然どこも変なことないのになあ。  は隠さんでええ顔やのに」

「また手で隠した!」

「そいつらよりぼくの言葉が  の心に届くようになればええのにな〜」

「そしたらなあ、まずはマスク外して学校行けるようになることが  の成長の第一歩やな。」

「ぼくも  がそうなったらうれしい」

 

先輩は呪いの解き方を知っていた。

次の日の朝、いつものように手渡されたマスクを受け取らず、数年ぶりに素顔で家を出る私を見てお母さんは泣いた。

 

「  との関係性がぼくは好きでな、  が頼ってくれて、ぼくは頼られることで自信がつくし、  の悩みを通してぼく自身を見つめ直すことにもなる。ずっとこのままでおれたらええなと思うで」

 

そんなことを言う先輩との関係性が続いたのは、4月の終わりから8月くらいまでだったから、半年もない。

だから先輩との思い出はほとんどが暖かくて蒸し暑い。

関係が閉じてしまった理由は大きく三つ。先輩が受験生だったこと、受験生の時間を割いていることに責任感を感じ私から距離を取り始めたこと、そのうち私が7割の嫌な思い出にとうとう押しつぶされて精神をおかしくしたこと。

 

冬の日、精神安定剤の強力な睡眠導入効果でいつものように遅刻してしまった私は、周りより何時間もかけてゆっくりと家を出て、既に門が閉められてしまった通学路を横目に迂回路をひとりで歩いて学校に向かった。通学路は山道で、路面凍結したらバイクも滑って走れないくらいの急斜面。ただでさえ身体が鈍っている私は必死でその坂を一歩ずつ登る。

うちの高校はそれなりの進学校で、高二の時点でほぼ全ての授業を終わらせ卒業に必要な単位を取らせる。高三からは自分の受験勉強のために必要と感じる授業のみに出席すればよく、塾に通わずとも高校からのサポートや本人の努力次第で大学に合格出来る、というのが売りだった。

「  」

だから三年生と登校時間が被る時がたまにあったし、だから六限前に下校する先輩と私は出くわしてしまった。

薬とストレスでボサボサになった髪もむくみきった顔も、坂を登って汗だくの姿も見られたくはなかったけど、一瞬だけ顔を上げて目を合わせた。「先輩お久しぶりです」

「  、ぼく大学受かった」

「おめでとうございます」。交わせた会話はそれだけだった。

先輩の足音が聞こえなくなるまで、ずっとその坂に足を食い込ませて、ヨタヨタと坂を下って家に帰って、薬をたくさん飲んで泣いた。先輩と会えなくなること、先輩が遠くにいくこと、もうお話できないこと、励ましてもらえなくなること。そもそも先輩とは数ヶ月のうちのほんの数十日しか会ってないくせに、それが当時の私にとって最も辛いことだった。

私は先輩の言葉で毎日を耐えて生きていたから。

 

先輩と出会ってから数年経った今でも、嫌なことを思い出しては先輩からの言葉を思い出して自分を元気付け、それから先輩自身のことを思い出す。

酷い時には先輩の存在に救いを求めるものだから、今の私を大切に思ってくれる人に「いつまでも過去のひとに惑わされるな」と不快に思われてしまった。

だから私は先輩を『嫌な思い出』にブチ込んだ。

傍から見れば未だに失恋を引きずる女そのものだけど、本当に違くて、付き合いたいもセックスしたいも無かった。失恋に見えちゃうのも仕方ないことかもしれないけど、本当に恋はしてなくて、でも、確かに好きな人と疎遠になったので失恋、違、失、アア、ウウ

 

私のなかには先輩との思い出が氾濫している。

先輩の言葉が私の人生を作った。先輩の言葉を胸に生きてきた。先輩の価値観を信じて過ごしてきた。あの頃の私が死なずにいられたのは先輩のおかげだった。

匂いで昔の人を思い出すように、音楽でそれを聴いていた当時が蘇るように、生活の全てが先輩の思い出と結びつくものだから、私はすぐに先輩との思い出を引き出しから鷲掴みにして取り出してしまう。

表面張力だけで抑え込まれているそれらは僅かな刺激でひとつこぼれ落ちた途端、すべてが溢れ出す。

そんな自分に自己嫌悪が止まらなくて、自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪というワードにより引き出された2015年5月18日の思い出、自己嫌悪が止まらなかった私に送ってくれた、先輩からのLINEをご覧ください。

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また泣く。また救われる。また苦しむ。いつまで私はこれをばかみたいに繰り返すのか、いつ終わるのか、自分でも分からなかった。

 

けど、収束はきちんと訪れた。

 

先輩との出会いから四年後、私が出た舞台の客席に先輩はいた。

私扱いの予約だけが入っていて、本番中にもその姿には気づけなかった。

終演後、先輩は手を差し伸べて、私と握手をした。

私の手は汗と緊張でネチネチしていて、先輩と握手なんてしたことあったっけって、そもそも先輩の手が触れた時なんてきっとなくて、恐らくこれは初めての握手だった。

力が抜けてかがみ込んだ私の顔に近づいた先輩の手からは知っている匂いがして、私が今までどこで嗅いだか思い出せなかったのは先輩の匂いだったことが判明した。

先輩の声は少し落ち着いていて、あの時のパワーはどこへやら、サブカルど真ん中な丸メガネをかけていて、あの茶色とねずみ色と黒の地層みたいな服を着てて、いかにもな量産型大学生で、それでもやっぱり先輩だった。

なんだもう、情報が多すぎる!

何も言えず、絵に描いたように口をパクパクとさせるだけの私を目の前に先輩は勝手に話を進めた。

 

「なんやろなあ。いや普通に面白かったで。なんかな、うん。」

「昔を知ってるからさ。」

「すごいな、成長したな。」

 

終わった、と思った。

 

隣の主宰に「彼女、稽古中になにかご迷惑かけてませんでした?」なんて話しかける先輩に私は何もつっこめないまま、先輩は何かしらをまた私に言っていたけど、それを私の脳みそは記憶してくれていない。「頑張ってな」という言葉に「先輩も頑張ってください」と返したことが私の精一杯だった。

先輩はこちらに手を振ってその場を離れアンケートを渡しに行き、また私に手を振り、少し歩いて私に手を振り、受付を過ぎても私に手を振り、階段を昇り姿が見えなくなったところでまたヒョコっと現れて手を振るかと思ったけど、もう先輩は現れなかった。

踏ん張れたのは数分。先輩と話している間にお客さんの数も少なくなったようで、私は舞台裏に逃げ込んで泣いた。

ずっとずっとずっとずっとずっと泣いた。馬鹿みたいに泣いた。先輩が褒めてくれた舞台に経つまでの数ヶ月。先輩と会わなくなってからの四年分の感情。あのとき先輩が相談に乗ってくれていた呪わしき過去の分。十九年分の全てが零れてしまった。全てを救われた。全てが報われた。泣いて泣いて泣いて、涙はずっと止まらなかった。お客さんが全員退出し、客席のパイプ椅子を畳む音に気づいて、やっと泣くのを止めた。

 

「成長したな」

 

終わった。

 

私の役者人生は終わった。

先輩を目の前に、スンナリと幕を閉じた。

第一幕なのか終演なのかは分からない。けど、私がずっとずっと踏ん張って必死に立っていたこの舞台は終わった。

先輩のためだけに演劇をしたわけではないし、先輩のためだけに舞台に立った訳じゃない。道中の目的や目標はそれぞれしっかりとあった。

とりわけ演劇が好きではないというのは昔から言っていた話で、私にとって演劇は一つの『手段』であって、どうも『居場所』ではないなという感じがしていた。周りは演劇に生き、舞台に立ち、舞台を作り、観劇をする。私にとって、それはあくまで人生を楽しむ手段であって人生の軸に置くものでは無かった。

何より演劇に関わっている奴らのクズ加減もアホ加減も、人間としての出来てなさも計画性のなさも、脚本家たちの締切守らなさも、JK食うオッサンも、メンヘラ含有率も、何より演劇に関わっている私自身にも、ウンザリしていた。

それでも演劇をつくることに何年も固執してしまったのは、まあ色々、手軽さとか、演劇に関わる人達のごく小数がどうしようもなく魅力的なこととか、高校演劇部のタブーの多さに逆に燃えたこととか、舞台として成立している舞台に魅せられたこととか。色々あったけど。

それをひっくるめて全てに鍵をかけたのはどうやら先輩で。

演劇への未練は先輩への未練だった。

入部して一ヶ月で初めて書き上げた脚本が採用され役者と演出助手を担い、先輩も「楽しみにしてる」と言ってくれた本番は台風直撃でポシャった。

夏休みを返上して書き上げた脚本を掲げ役者としても出場した地区大会は、先輩から内容に触れられずひたすらピンスポットの使い方のアドバイスしか貰えなかった。

演劇部副部長に任命され、「なんで  が部長じゃないの?」と周りが不満がるなか、先輩と同じ副部長だ、と一人だけ意気込んだ。

分かりやすい笑いに徹した脚本を書き上げ、高校生活最後の役者舞台となった文化部発表会はバカウケして後輩もたくさん入ったけど、先輩だけは見に来なかった。

先輩に観せたかった。認められたかった。

その思いはついぞ叶わず、引退も卒業もしないまま、延長線上に私は立ち続けていた。周りとは違いいつか終わりが来るはずの私の役者欲がいつまでも満たされず、また演劇の入口へとワープし役者人生をループし続ける私のゴールは自分じゃ見つけられなかったけど。

先輩に「成長したな」と言われることが、終わりの見えない役者人生の出口だったらしい。

成長したのは役者としての話だったのかは、果たして分からない。

ただ、大学三年生の先輩の前には、マスクも付けず、笑顔で人前に出られるようになったショートカットの私がいた。

 

私の青春は終わった。

もうどこにもない青春を取り戻すべく足掻き続ける私は、もうどこにもいないあの頃の先輩を必死に探し求めていた。いつかまたあの制服の先輩に会えるのではないかとでも思っていたのかはわからない。

あのベンチで先輩と話すことはもう無いけど、私に根気強く話しかけてくれた、南大阪らしくない柔らかな関西弁は相変わらずそこにあって、標準語混じりの変な関西弁で返した私はやっと気づけた。

あの頃の先輩はもういなくて、あの頃の私ももういないのだ。

先輩と握手をしたときの私はすぐに思い出せなかったけど、過去に先輩の手が私に触れたことはほんの数回だけあった。

あのベンチは西口、私の家に向かう方の出口に設置してあって、もちろん私の中学の同級生の多くも西口を使う。

あのベンチに座った日、先輩に言わせれば『死ねばいい奴ら』が駅前で騒ぎ始めた。大抵ああいう奴らは声がバカみたいに大きいし、悔しいけど私はその声を聞けばすぐ反応できるようになってしまっていた。固まり縮こまる私を見て察した先輩は、座る位置を変えて私を見えない角度に置き、私の頭に手を回しながら半ば抱き寄せるような形で、先輩の陰に私を隠し、奴らが駅前から去るまでずっと励ましてくれた。

私はいつも顔を下げて走って逃げていたけど、先輩は少しでも堂々と『そこにいられる』ことを選んでくれた。先輩がいなければできなかった、人生で初めての奴らへの抵抗だった。

そのあと何回か泣くたびに、先輩の手は少しだけ私の頭に触れた。

いま、もうその手が私を撫でることも守ることもないし、私も先輩もそれを望んではいない。

握手から先を望まなかった私自身が教えてくれた。

いま、私が追い詰められた時にしっかりと抱き締めて守ってくれる人がそばにいる。

先輩だけが人生を歩み進め、私はあのベンチにひとり取り残されたまま先輩を探していたような気になっていた。今の私を見守ってくれる存在にも顔向けができないと、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

なんのことはない、私も成長したからこそ、あの頃の先輩にいくら縋っても救われないから苦しいだけなのだ。空回りだった。

無理やり嫌いな思い出に押し込むこともない。素直に6に入れておこう。

 

ただ、あの頃の私が成仏できていないだけ。

『死ねばいい奴ら』が惨たらしく死ぬか、私の嫌な思い出比率が1になるまであの頃の私は消えないだろうから、アア、ウウと彼女が唸った時には、たまにならあのベンチに座ってもいいと許可してほしい。

けど、それがダメなら、今の私をぎゅっとかたく抱きしめてもらいたい。頭を撫でてほしい。

先輩との思い出を3に追いやる日が来るまで。

 

 

 

 

これは零れた思い出を掬うための分。

文化部発表会の帰り、先輩のことを友達に話したら「すぐそうやって変な人を好きになるよね」と言われたこと。

入部後に同じ劇をもう一度観て泣いた私を慰めてくれたこと。

そのベンチに座った日は、夕方の五時くらいから夜の九時過ぎまで話に付き合ってくれたこと。

マスクを外した日の夜、私から経緯を聞いたお母さんが「先輩のおかげやね」と言ってまた泣いたこと。

私の不安なツイートを見ては深夜にLINEで励ましてくれたこと。

試験の前日に朝の三時まで電話をしたこと。

それでも先輩は難関志望校に合格したこと。

受験生の時間を割いてしまったと必死に自分を責めていた私がその合格で救われたこと。

大学に入った先輩はだんだんとSNSで本名を晒すようになったこと。

過去の人間をいつまでも引きずってんじゃないよと何度も喧嘩になったこと。

何回も先輩を嫌いだと思ったこと。

先輩が好きなこと。

 

忘れられないこと! 忘れたくないこと!

記憶力がいいぶん、忘れることはできずに無理やり追いやったり捏ねくり回すしかなかったらしい。

本当は忘れずに思い出と付き合っていきたいけど、難しい話なのかもしれないから、できればここに置いていきたい。

溢れそうな思い出と感情をここに置いておく。供養。殴り書き。青春の老廃物。私の宿題。