泥水りんごジュース

なんでちゃんと飲んでくれないの

きゃあ、自分殺し

前回のブログ更新からもう一年半ほども経つらしい。

自堕落な生活を送っている。

ブログは何回か書いたけど、それも全て中途半端のまま下書きにしまわれている。絵もろくに描いていない。

 

私は何回か心を折った末、どうにか自分に寛容になることができた。

それなりでいいんじゃない、それくらいで十分オッケー。やるだけえらい。やらないよりまし。生きてるだけで。

『本来の意味での自己肯定』とよく言われているやつで、まあ数年前まで無気力で引きこもり自殺までしかけた人間が普通に生き延びた日が1日でも増えていくのは凄いんじゃないかな、と思う。

 

けれど、私が寛容なのは今の自分に対してだけだ。

過去に対する完璧主義は昔から頑固なのだけど、(“過去に対する完璧主義”という字面は破綻している気もする、)きっとこの二十数年積み重ねてきた自己嫌悪が加えてさらに強くこびりついたのだろう。

その場その場は「まあやれた方だな」と思いながら、夜眠る前、数日後に同じような場面に出くわす時、数年後にはたと思い出す時、私は過去の自分を滅多刺しにする。

あ〜〜死んでくれ。頼む!いやいやおかしいでしょ何でそんなこともできん?もうちょっと上手くやれや〜てか時間あったじゃん絶対。もっとできただろ、恥ずかしい、自分には能力がない。もう何もしないでおこう。生き恥だ。死んでくれ。何一つ残すな。全てが消えものであれ。名を残すなら功績だけにしろ。失敗は残すな、恥晒し、カス、死んじまえ

この中傷を『自省』という表現に置き換えればそれはものすごく下手で、私は自省に向いていないと言っていいのかもしれない。

「次からはこうしよう」とも思うのだけど、それは過去の自分を殺したいほど恥じているために生じる「過去のお前なんかと一緒にされてたまるか」という決意の表れであり自省とは少しずれている。

 

私は昔から作ることが好きで、漫画やイラストを描いてみたり文章を書いてみたりしている。

そのどれもこれもが“残る”ものであり、私は自分が作ってきたそのほとんどに嫌気がさす。

描いた漫画たちは全て燃やしたし、ブログはアカウント自体消去し、Twitterはフォロワーを全てブロックして鍵をかけた。

このブログだってこっそりと何度かの修正を重ねていて、読むたびに「よくこんなくっさい文章書くなあ、キモい、恥ずい、死んでくれ」と思う。そしてこの記事も例外ではない。というこの文章の言い回しも臭いし、本当に死んでくれと思う。と、書くことも、臭いし、はあ

未だに消していないものたちもいくつかあるが、それらに関してはいっさい目を通せない。

たとえば私はスポーツ観戦の感想を手書きで書くというアカウントを持っているのだけれど、過去に投稿したものを振り返ることは基本的にない。見るに耐えないからだ。過去との矛盾があってはいけないからと遡ることはあるけども、必要な時以外は絶対に見たくない。

さらに言えば、投稿した時点で“過去”になってしまうので、私は投稿後のチェックを済ませると数十時間はそのアカウントを開けなくなる。

その間に反応や感想も溜まっていくが、溜まりきってから返すようにしている。恥と対峙するのは極力避けたいので。

 

過去の自分が今より拙いのは当たり前だし、裏を返せばそれは今の自分が成長しているということにもなるのだけど、それを理解した上でもどうしても過去を責める。

そして現在の私はいつか自分が“過去”になった時を考え、未来の自分に死ぬほど責められ未来の自分が恥に苛まれることに足取りを重くして、一歩踏み出すことをぽつりぽつりとやめてしまうのだ。

そんな過去にも「何にもしてねえな」って責めるんだけど。

私は過去の日々を“黒歴史を作りながら生きてきた”と感じていて、今の私はその過去のケツを拭くために生きている。

そのケツを拭いている私も未来から見れば黒歴史製造中のただのゴミで、たったいまを生きている私は未来の自分に死んでくれねえかなと思われているのだろう。

 

私が完璧になる日はいつ来るのかしら。

上手くできたと思った作品を後から見返した時の、あの感覚が心の底から嫌いだ。

バランスは悪いし言い回しはくどい。面白くないし不恰好。

そう思えるのは審美眼やセンスが養われた証拠である、けども、そんなのは関係なく、本当に恥ずかしい。

あの時の自分は最大限やったのだなと思える余地がない。

なぜもっと上手くやれなかったのか? もっと上手くやれ、下手くそ。

そればかり考える。

その当時の私を認め、褒める声も多数ある。そのすべてがお世辞で茶番に見える。なんて失礼なやつなんだろう。

こんなの面白くもねーだろ! と本気で思うのだ。治せるものなら治したい。

きっと世界は思うより少し甘い。肩の力を抜いて大丈夫なのに。

完璧を求めて何になる? この世に完璧なんてないといつから気づいている? いつ完璧になることを諦められる?

7歳くらいの頃の失敗を思い出して本気で責めちゃうのももうやめたいよ。不毛だもん。

自分に甘いのかもしれない。過去の自分を傷つけてまで完璧主義であろうとする自分自身を躾けられず野放しにする私は。

数年後の自分が来る、数ヶ月後の自分が来る、数日後の自分がどうせ私を詰めに来るのだと思っていると、それは数時間後、数分後数秒後と時間を縮める。

一秒前の私は過去。

おい、下手な文章書いてないで死んでくれ

うわ〜〜うるせえ。黙ってくれ。

黙ってくれって、そうやってまた自分に甘いな

現時点で過去の自分をディスるのやめられてないお前も同類だから大人しくしててくれ

お前が完璧なら私が詰る必要もないんだが?

お前はどれくらい未来の私なんだ?今の私か?

黙れ、反論できないなら喋るな、カス、死んどけ、読み返してみろ、酷い文章だぞ。はやく記事消して寝ろ

助けてくれ

 

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